ご朱印とは?

スンマセン、超初心者のため自分の考えで語れるほど知識なく、ほぼ本などからの受け売りですので悪しからず…。σ(^^;

ご朱印とは、もともとはお寺に写経に行き、そのお経を納経した証に頂くものだったそうですが、江戸時代ごろから庶民が観光でお寺参りするようになり、 納経しなくても参拝の証として頂けるようになったとのことです。その習慣が神社にも広がり、神社でも御朱印が頂けるようになりました。
ご朱印集めのルーツは、古くは平安時代の西国三十三カ所観音霊場巡りや、室町時代の四国八十八カ所霊場巡りにあると言われているそうですが、江戸時代後期に京都や江戸で七福神巡りなど新たなルートが作られブームになったことがあるそうです。
ご朱印は一つ一つがお坊さんや宮司さんの手書きのため同じものが二つとなく、持っているだけでお守りになると言う説もあるくらいなので、大切にしたいと思います。

ご朱印の頂き方は、境内の社務所などにある「ご朱印所」でお坊さんや宮司さんにご朱印帳を渡してお願いすればいいのですが、あくまで参拝の証なので参拝の後、というのが基本ルールのようです。
それでも大きなお寺や神社の場合、出入り口近くに社務所とは別に受付があって、そこで参拝前に御朱印帳を預けることが出来る場合もあります。
鎌倉などの観光寺では、この方式が多いようです。
初穂料は¥300〜¥500、たいてい¥300で、¥500のところではミニお守りなどオマケ付きのところもありました。


ご朱印帳分ける?分けない?

お寺と神社で御朱印帳を分けなければいけない、というルールはないそうで、分けないから失礼にあたることもないとのことです。
ただ、自分が聞いたところでは、まれに神社で「お寺の御朱印帳には書きません」等と言われることがあるそうで、確実に頂きたい場合、分けておいた方がよさそうです。


ご朱印と信仰心

このサイトじっくりご覧頂いてる方は、英国旅行の記録ページで裕華が聖公会信徒である旨の記述をご記憶かと思います。
矛盾してる〜、って方もあるかもですが、自分の中では矛盾には当たらないほど、小さなことです。
極論すれば自分にとっての神とは、この世界の物理法則そのもの(この世界をこの世界足らしめている事象、という意味で)、だと思っているので、イエス・キリストもブッダも天照大神も、自分の中では同じ存在なのです。
仏壇と神棚両方があるごく普通の日本人家庭で育った者の考え方としては、それほど奇異なものではないと思うし、洗礼を受けたのはキリスト教入信というより、形而上学的存在との繋がりの証明が欲しかった、というのが本当の理由です。(神道にも仏教にも、キリスト教の洗礼に当たる一般信徒の儀式が存在しないので…)
(宗教がこれだけ様々に分かれたのは、地域や民族によって思考回路や習慣が違うからで、大もとの存在は一緒だと思っている自分。ユダヤ教とキリスト教、イスラム教の神が同じアラーだという事実を思い起こせば分かりやすいかと…)
そもそも信仰ってば、自分とカミサマとの超個人的な関係だからヒトサマには全くうかがい知れない世界のはずだし、それゆえ人の数と同じだけ信仰のあり方も存在すると思うので、とやかく言われる筋合いの全くない領域ってコトで、悪しからず〜♪